江戸時代中期の儒学者に中根東里という人物がいる。その存在のほとんどの記録は残っていないが確かに存在した。名誉栄達金銭にはまったく興味がない、もしかしたら変わり者だったかもしれないが、多くの人々に慕われた。

学が高く、人格が高潔であった。見知らぬ隣人が病気で苦しんでいるのを見ていられず、全財産をつぎ込んで助けた。助けたあと、その隣人が気を使って、生きづらいだろうと自らは居を移した。

今で言うと大学教授やテレビのコメンテイターなどの仕事は沢山舞い込んだが、自らの教養を売るようなことは頑なに拒み、草履を編んではそれを売って、辛うじて生き延びた。学問だけを続けた。

やがて東里は人に教えることを始めた。問われれば答え、請われれば教えるという形であった。世の中には学問好きの人間も少ないながら存在するので東里の学の高さは評判を呼んだ。さらに徳の高さは多くの市井の人々をひきつけた。

東里の言葉には底知れぬ重みがあったという。

当時の儒者の講義とはまったく違う。「天地万物一体」その理さえわかればよい、とした。戸板をなぎ倒す迫力でそう言った。ほとんどその記録は残っていないが、東里という人物は確かに存在した。

「出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ。」

東里の言葉である。